月次アーカイブ: 1月 2014

大田6団ビーバー隊副長の野坂です。昨日は、カブ隊と合同で『子どもの国』へ、スケート訓練に行きました。カブスカウトは『アイススケート章』習得が目的。ビーバー隊は、スケートを初めて経験した子もいました。大学生のボランティアさんがコーチできてくれました。さすが、アイスホッケー部だったので、非常に上手で良く指導してくれました。スケートを初めて習ったスカウトも元気良く滑りました。また園内にはボーイスカウトの記念碑もあり、ボーイスカウトゆかりの地でもあるんですね。隊長から、記念碑の由来について説明を受け真剣にスカウトたちは話を聞いていました。スカウトたちも、何かを感じてくれたら幸いです。

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第2次大戦中、激戦の南洋諸島のある島でのお話。
重傷を負った1人の米兵が倒れていました。
そこへ剣付きの銃を持った日本兵が通りかかります。
気付いた米兵は「あっ、殺される」と思った瞬間、気を失ってしまいました。

しばらくして目覚めた米兵。もう日本兵はいません。
そばに落ちていた白い紙切れに気付き、何気なくポケットに入れます。
そのまま野戦救護所に担ぎ込まれ、一命を取り留めました。

その時拾った紙切れに、こんなことが書かれていました。

「君を刺そうとした時、君はぼくに三指の礼をした。
ぼくもボーイスカウトだった。ボーイスカウトは兄弟だ。君もぼくも兄弟だ。
それに戦闘力を失ったものを殺すことは許されない。
傷には包帯をしておいたよ。
グッドラック」

戦後、この米兵は米国のボーイスカウト連盟本部を訪ね、この話を伝えました。

1952年、米国のスカウト本部の役員が来日した際、この話を日本側に伝えました。

米兵は本名を明かしていません。
日本兵は戦死したようです。
無名のスカウト戦士の間のできごとです。

この無名の日本兵の行動こそ日本の武士道精神、スカウト精神の結晶です。


三指の礼とは、人差し指、中指、薬指だけを伸ばした敬礼の仕方です。世界中のスカウトが共通して使っている独特のあいさつです。

52年にこの話が日本に伝えられた時、新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。
この日本兵がだれなのか調べられましたが、ついに分からずじまいで、戦死したのだろうと言われています。

無名戦士の記念碑は1966年5月5日、スカウト仲間の寄付金をもとに建てられました。
戦争の愚かさと、敵味方を超えた友情の気高さを若いスカウトたちに語り継ぎたいと、ボーイスカウト日本連盟理事長だった久留島秀三郎氏(1888-1970)が中心になって、募金を集めました。

久留島氏は財界出身で、こどもの国の創設の際、厚生省(当時)中央児童厚生施設特別委員会の委員長として活躍しました。

こどもの国の土地は戦後、在日米軍に接収されていましたが、当初、米軍からの返事は「返還ノー」と強硬でした。
そこで久留島氏が米軍司令官と直談判した結果、劇的などんでん返しが起き、「返還イエス」に変わりました。
その司令官もボーイスカウト出身で、会談ではスカウトの話題に花が咲き、「返還の是非は再度検討する」との回答を得ました。
会談後、2人は互いに三指の礼をして別れました。
帰りの車中で久留島氏は「これで返ってくるな」とつぶやいたと伝えられています。

『子どもの国』は、1959年(昭和34年)4月の皇太子殿下(現天皇陛下)のご結婚を記念して、全国から寄せられたお祝い金を基金に、1965年(昭和40年)5月5日のこどもの日に開園しました。旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠跡の国有地が米軍から返還されたのを受けて、国費をはじめ多くの民間企業や団体・個人の協力で整備されました。次世代を担うこどもの健全育成のための施設で、児童福祉法に基づく児童厚生施設だそうです。

大田6団ビーバー隊副長の野坂です。先週は、新年餅つき大会でした。スカウトたちもお餅をつき、そしてたくさんお餅を頂きました。お餅つきの後は、きちんとカブブックの勉強もしました。来週は、子どもの国へスケート訓練に行きます。ホッケー部に在籍していた若いリーダーが教えてくれるのでスカウトたちも楽しみにしています!2014011910130000 2014011911020000 2014011911020001 2014011914180000                楽しんだ後は、きちんと学んでます!